『恋は雨上がりのように』と『羅生門』
『恋は雨上がりのように』には「羅生門」ネタが登場する。
最初に登場したのが第9話(2巻収録)。
次にまるまる一話使って扱ったのが第21話(3巻収録)。
『羅生門』は短めの短編で、青空文庫で無料で読めるので是非。
さて、この羅生門。
最初は、第9話(『恋は雨上がりのように 2』に収録)にて登場している。
そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
芥川龍之介『羅生門』より
あきらに告白された近藤店長が、アパートのベランダから外を見ながら、「とりとめもないことを考えているシーン」でのことだ。
雨が降っている様子と、自分自身がとりとめもないことを考えているのを、羅生門の描写と重ねあわせているわけだけれど、このころから近藤店長の文学への愛がにじみ出ている。
※ 創作話になるのだけれど、『羅生門』というチョイスはかなり素敵だと思う。同じ教科書に乗っていそうな文学を選ぶとして、例えばこれが『こころ』だとしたら長すぎて、そうそうは読まない。『羅生門』は短いので、気が向けばすっと読める。その御蔭で、作品への理解は深まりやすい。
次に登場するのは11話。(『恋は雨上がりのように 2』に収録)
学校の教科書に登場する。
(ちなみに、あきらが相合傘を書いたのは、この『羅生門』のページ。意味深なのは「使われていた主人」という言葉の横に相合傘と店長の似顔絵が書かれている。もし、『恋は雨上がりのように』がこの羅生門のシナリオをなぞるなら、あきらが何かをやらかしてしまい「使われていた主人から暇を出され」ることがあるのかもしれない)
そして、一話まるまるモチーフとして使われるのが第21話。(『恋は雨上がりのように 3』に収録)
勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰(にきび)を気にしながら、聞いているのである。
芥川龍之介『羅生門』より
「ニキビは若さの象徴」というセリフで恥ずかしがるあかり(とニキビ)を描写し、その次のコマで近藤店長の十円ハゲを描写しているのは、十円ハゲこそが『恋は雨上がりのように』における「おっさんの象徴」だからだと思われる。
しかし。
橘あきらと同様、近藤店長にもニキビはできる。
作品の暗喩的には、近藤店長には若さがあるというわけだ。